高見順研究 - 梅本宣之

高見順研究 梅本宣之

Add: ticiti41 - Date: 2020-12-15 07:37:12 - Views: 1893 - Clicks: 6853

昭和文学研究 研究動向 内田百間 西井弥生子 69集 年09 芥川龍之介(昭和期) 藤井貴志 69集 年09 ユーモア小説 佐藤貴之 69集 年09 石井桃子 藤本恵 68集 年03 安岡章太郎 金岡直子 68集 年03. 高見 順/著,高. 高見順と大正生命主義 梅本 宣之 帝塚山学院大学日本文学研究 (31), 39-49, -02. (9/12時点 - 商品価格ナビ)【製品詳細:書名カナ:タカミ ジュン ケンキュウ|著者名:梅本宣之|著者名カナ:ウメモト,マサユキ|シリーズ名:和泉選書|シリーズ名カナ:イズミ センショ|発行者:和泉書院|発行者カナ:イズミシヨイン|ページ数. 梅本宣之著 言語: 日本語 出版情報: 大阪 : 和泉書院,. 高村光太郎研究: 角田敏郎: 昭和47年 : 2,200円: 7519: 高橋元吉の人間: 東宮七男・関俊治・梁瀬和男: 昭和50年 : 2,200円: 7511: 高橋和巳の文学とその世界: 梅原猛・小松左京編: 平成3年 : 2,200円: 7548: 高見順の航跡を見つめて: 宮守正雄: 平成20年 : 2,200円: 7547: 高見順. 研究者「梅本 宣之」の詳細情報です。j-global 科学技術総合リンクセンターは研究者、文献、特許などの情報をつなぐことで、異分野の知や意外な発見などを支援する新しいサービスです。. 中島敦は当時の就職難に苦しみ、同年秋に朝日新聞社の入社試験を受けたが二次試験の身体検査で落ち、また叔父の満州国高級官僚の中島比多吉に就職の斡旋を依頼するなどしていた。同級生38名中、順調に就職が決まった者は3名だけだった。結局、1933年4月、祖父の門下生だった田沼勝之助が理事を務める横浜高等女学校(現:横浜学園高等学校)での教員の職を得て横浜市中区で単身暮らしとなった。担当科目は国語・英語(および後にこれに加えて歴史・地理)であり、週23時間の授業を受け持ったという。初任給は60円だった。 女学校教員となったこの年の12月11日には橋本タカと結婚(正式入籍)した。タカは4月に郷里の愛知県碧海郡で産んだ長男・桓(たけし)を連れて11月頃に上京し、杉並区の佐々木方に下宿した。教師時代も多趣味な生活を送り、また生徒からもかなりの人気があった。教員時代は、山岳部生徒の引率で、箱根外輪山や北アルプスに登ったり、同僚らと三国峠、法師温泉などにキャンプに行ったりしたこともあった。 教師時代に「斗南先生」「北方行」など多くの作品を執筆しており、1934年7月、「虎狩」を『中央公論』新人号に応募して、選外佳作10編に入る。敦はこの結果に、氷上英廣宛てのハガキで「虎狩、又してもだめなり。(中略)なまじっか、そんなところに出ないほうがよかったのに。すこしいやになる」と、なまじっか佳作に名を連ねていることを悔しがり応募したことを後悔している注釈 1。同じ年の4月に釘本久春を介して、京城中学の1年後輩の三好四郎と知り合っており、さらに1936年、その三好四郎から鎌倉に住む深田久弥を紹介されている。なんとか中島敦を世に出したいと願う釘本や三好の勧めで、毎週深田の自宅を訪ね、作品評を乞うようになった。 教師時代の1935年(昭和10年)には、ガーネット、列子、荘子などを、1936年(昭和11年)にはアナトール・フランス、ラフカディオ・ハーン、カフカ、オルダス・ハクスリー、ゲーテなどを読んだ。この頃に起筆した自我の追求や存在の形而上学的不安をテーマにした私小説「狼疾記」「かめれおん日記」(「過去帳」2篇)は、「北方行」の草稿から転写・再構成された短編で1938年(昭和13年)から1939年(昭和14年)にかけて完成した。 また、1936年(昭和11年)の小笠原諸島や中国の旅行の際、旅日.

梅本宣之 『高見順研究』和泉書院、3月 岡田正子 「幸田露伴『風流佛』考―「発端 如是我聞」と「團圓 諸法實相」をめぐっての西欧的、キリスト教的視点からの考察―」『日本文藝研究』9月 荻原桂子 『増補 夏目漱石の作品研究』花書院、4月. 文学・一九三〇年前後 - 〈私〉の行方 - 梅本宣之 - 本の購入は楽天ブックスで。全品送料無料!購入毎に「楽天ポイント. jp2) 『タズキラ・イ・ホージャガーン』研究についての覚書 / 澤田稔 / 1 (0176. 高見順「仮面」の成立と位置 / 梅本宣之 /. 詩人高見順 その生と死: 上林猷夫: 平成3年 : 2,530円: 7545: 最後の文士 高見順その世界 季刊「アーガマ」 季刊「アーガマ」146号: 平成10年 : 2,200円: 7546: 高見順論 魂の粉飾決算: 坂本満津夫: 平成14年 : 1,650円: 7547: 高見順研究: 梅本宣之: 平成14年 : 2,200円: 7548.

3 形態: 223p ; 20cm ISBN:. 1:: 12973: 図書: 高見順昭和の時代の精神 : 川上 勉/著: 萌書房:. Pontaポイント使えます! | 高見順研究 和泉選書 | 梅本宣之 | 発売国:日本 | 書籍 || HMV&BOOKS online 支払い方法、配送方法もいろいろ選べ、非常に便利です!.

梅本宣之 〇「彷徨する自我―高見順の道程」(十月、『季刊文学』) 〇「『かげろふの日記』覚え書」(十二月、『帝塚山学院短期大学研究年報』). 高見順における〈反近代〉 / 梅本宣之/1 「人柱築島由来」の成立 / 一條孝夫/22 玉津島社奉納和歌の背景――冷泉為村・為泰父子和歌短冊の場合 / 神道宗紀/39. 高見順研究 フォーマット: 図書 責任表示: 梅本宣之著 出版情報: 大阪 : 和泉書院,. 3:: 12972: 図書: 高見順出生当時の三国 昭和四十一年十月十七日稿 : 高間 新助/著: 高間新助: 1966. 高見順、永井荷風は従兄弟):名古屋市; 中村利雄(元・中小企業庁長官。元・年日本国際博覧会協会事務総長) 西ヶ廣渉(駐ルクセンブルク 特命全権大使、演劇評論家):名古屋市; 野村一成(宮内庁東宮職 東宮大夫):名古屋市. ㉗ 『文学者の手紙 第六巻 高見順』 ㉘ 『高見順の航跡を見つめて』宮守正雄 ㉙ 平野謙の『高見順論』 ㉚ 高見順ボケのおさらい・坂本満津夫 悠々漫筆 ① 大久保房男さんの近著 ② 堀江朋子さんの『日高見望景』 ③ 次は私の番?. 梅本宣之 〇「高見順と大正生命主義」『帝塚山学院大学 日本文学研究』2月 大石加奈子 〇「宮沢賢治のテクスト空間と光学装置―『銀河鉄道の夜』の回転するstage」 『(神戸大学)国際文化学』3月 大橋毅彦.

彷徨する自我--高見順の道程 梅本 宣之 文学 7(4), 161-171, 1996-10. 昭和文学研究. 文庫 都に夜のある如く (文春.

3 形態: 223p ; 20cm 著者名: 梅本, 宣之(1955-) シリーズ名: 和泉選書 ; 129 書誌id: baisbn:. Bib: BBISBN:Holding items in this. 高見順の生命観-戦中から戦後へ / 梅本宣之/1 ・. Amazonで梅本 宣之の高見順研究 (和泉選書 (129))。アマゾンならポイント還元本が多数。梅本 宣之作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。. 高見順研究 フォーマット: 図書 責任表示: 梅本宣之著 言語: 日本語 出版情報: 大阪 : 和泉書院,. 京城市龍山公立尋常小学校卒業後は公立京城中学校に入学するなど、各地を転々とする少年時代を過ごした。そのため、一般の人々が口にする「故郷」という懐かしみの感覚(愛郷心)が敦には分からなかった。 中学時代の同級生には湯浅克衛、小山政憲がいた。敦は中学の頃は湯浅や小山のような文学青年とはあまり付き合わず普通の友人と親しく交遊していたが、この頃からすでに英文学の本など鉄道図書館で借り読んでいた。また、湯浅が授業中に急進的な総合雑誌『改造』を読んでいた時や、寄宿舎の机の中の『痴人の愛』(谷崎潤一郎)が摘発された時、敦が強く湯浅を擁護し停学処分が免れたというエピソードも知られている。また、とある級友に頼まれ彼の試験答案を代筆したことが発覚し、謹慎処分を受けたこともあったという。小学校・中学時代を通して成績は極めて優秀で開校以来の秀才といわれ、異母妹を背負って子守りながら中学1年ですでに四書五経を読破するなど多くの和漢書を読み、英語や数理学科の成績も良かったが、16歳の時、父親が関東庁立大連中学の勤務となり、伯母・志津(京城女学校に勤務)の家に移り住んでいた間は少し成績が落ちたこともあった。 この龍山小学校・京城中学時代を通して、中島敦は合わせて5年半を朝鮮半島で暮らしている。初期の複数習作や「虎狩」における植民地時代の朝鮮像や朝鮮人の描写は、その後に得た朝鮮に関する広い知識によるところが大きいものの、この頃の朝鮮での経験をベースとしたものであるとされる(節「植民地への視線」も参照)。.

中島敦は転地療養を兼ねてパラオ・コロール町(コロール島のコロール)の南洋庁の編修書記に任じられ、現地の教科書作成業務に携わりながら「環礁―ミクロネシヤ巡島記抄―」や「南島譚」の題材を得るが、アメーバ赤痢やデング熱にもみまわれ、勤務が難しい状態にあった。南洋庁では孤立したものの、東京美術学校彫刻科出身の土方久功や熱帯生物研究所の若い学者らとは親しかったという。敦のことを「トンちゃん」と呼んでいた土方は、自身の旅行日記や、それを素材とする「南方離島記」の草稿を敦に見せたり、南洋群島を一周する出張旅行にも同行したりした。 これに先立って、以前から交流のあった作家・深田久弥に「古譚」や「ツシタラの死」などいくつかの原稿を出発前に託した。敦は深田が自分の作品を推薦して文芸誌に掲載してくれることを期待し、出張のときは父と妻に日程を細々と手紙に書き送っていたが、深田からはいっこうに連絡がなく失望する。11月9日には、妻タカに向け、「オレが死んだら」、深田に預けた原稿を、他の原稿と一緒にしまっておき、桓(長男)が成人して文学を愛好するようなら渡してほしい、という主旨の手紙をしたためている。 一方、深田は敦が旅立ってから半年後、ようやく原稿に目を通し、その内容に「歎息に似た感歎の声」をもらした。託された4篇からなる「古譚」の原稿を『文學界』に推薦し、その中から編集の河上徹太郎が2篇(「山月記」「文字禍」)の掲載を決めた。 敦は喘息快癒を期待してパラオに赴任したが、雨の多いパラオではかえって喘息がひどくなった。また、現地の島民たちと接するうちに、教科書を作って教育を押し付ける自分の仕事に熱意をなくしてゆく。本屋や映画などの文化がほとんどないことも不満であった。12月31日、敦は東京出張所勤務を希望することを課長に申し出る。翌年1942年(昭和17年)3月、土方久功と東京に向かう船に乗り帰国する。. 高見順研究 : 梅本 宣之/著: 和泉書院:. 1909年(明治42年)5月5日に、東京府東京市四谷区箪笥町59番地(現:東京都新宿区四谷三栄町))で、父・中島田人(たびと)と、母・チヨの長男として生まれた。この地は母の実家の岡崎家であった。 父・田人は、儒学者・中島撫山の六男で漢学の教育を父兄から受けた影響で旧制中学校の漢学教員となり、敦が誕生した34歳当時は千葉県銚子町(現:銚子市)の中学校に勤務していた。母・チヨは元小学校教員で、前年1908年(明治41年)に2人は結婚していた(届出は1908年12月)。 しかしながら、敦が1歳の時に両親は離婚し、2歳の時から父の郷里の埼玉県南埼玉郡久喜町大字久喜新に引き取られ、祖母や伯母たちに育てられた。祖父・中島撫山は敦の幼少時に亡くなっていたものの、伯父たちには学者の中島斗南、中島竦らがいて、敦もまた彼らを通して儒学や漢文の影響を受けた(節「家族・親族」も参照)。 5歳の時に父が紺家カツと再婚し、6歳から奈良県で父と継母と暮らした。その後、14歳の時にカツが死去した後は、飯尾コウが新たな継母となり、少年時代に2人の継母と暮らしたが、父や継母たちとの折り合いは必ずしも良くなく、そうした「母」という存在の希薄さがのちの中島文学の形成に影を落とす(節「「母」の不在」も参照)。 また、9歳の時に教師の父の転勤で、奈良県の郡山小学校から浜松西小学校へ、さらに11歳の時には朝鮮総督府の京城市龍山公立尋常小学校へと転校する。小学校4年の頃の担任教師から執拗に繰り返し聞かされた、太陽系や地球絶滅の運命と存在の無意味さにショックを受け、爾来あらゆる生の虚無と形而上学的な不安が敦の内面に巣くうようになり、のちの中島文学の主題形成に影響を与えていく(節「形而上学的な思索」も参照)。. 高見順研究 (和泉選書 (129)) 梅本 宣之 単行本 終戦日記 (文春文庫) 高見 順 5つ星のうち5. 文学・一九三〇年前後 〈私〉の行方 (近代文学研究叢刊)/梅本 宣之(小説・文学) - 1930年前後に文学的出発を遂げた作家たちにとっての切実な問題は、自己の存在意味や自己と他者との関わりについて模索することであった。. 坂本 満津夫/著 高見順論 : 魂の粉飾決算 坂本 満津夫/著 高見順研究 梅本 宣之/著 詩人高見順 : その生と死 上林 猷夫/著 高見順 新選現代日本文学全集20. 日本近代文学 89(0), 310,. jp2) 読書の詩 Ⅱ / 福本雅一 /.

梅本 宣之さんの後を追って、Amazon. 8:: 12974. 高見順「仮面」の成立と位置 / 梅本宣之/68 読書の詩 Ⅱ / 福本雅一/86 共同研究『政基公旅引付』に見る生活と文芸 / 森田恭二 ; 鶴崎裕雄 ; 柴田真一/115. 12: 高見順研究. comの梅本 宣之の著者ページから参考資料を探します。.

タイトル 著作者等 出版元 刊行年月; 文学・一九三〇年前後 : 〈私〉の行方: 梅本宣之 著: 和泉書院:. 梅本宣之 〇「高見順における南方行の意味」(二月、『帝塚山学院大学日本文学研究』) 太田登 〇「小日山直登資料にみる与謝野晶子(二)」(十月、『与謝野晶子倶楽部』) 〇「〈放たれし女〉のゆくえ―啄木短歌のなかの女たち」(三月、『山辺道』). 高見順研究: 梅本宣之: 平成14年 : 2,200円: 7515: 高橋和巳作品論 自己否定の思想: 伊東益: 平成14年 : 2,860円: 7822: よみがえる谷川雁 「現代詩手帖」45巻4号: 平成14年 : 990円: 7546: 高見順論 魂の粉飾決算: 高見順研究 - 梅本宣之 坂本満津夫: 平成14年 : 1,650円: 7592: 高村光太郎を語る 光太郎. 高見順研究 梅本宣之著 (和泉選書, 129) 和泉書院,. See full list on weblio. 高見順研究 - 梅本宣之 - 本の購入は楽天ブックスで。全品送料無料!購入毎に「楽天ポイント」が貯まってお得!みんなのレビュー・感想も満載。. 高見順研究 発売日:/03 著者:梅本宣之 シリーズ:---- 出版社:和泉書院 ジャンル:文芸評論 ISBN:品番:bktソ連・ロシアの核戦略形成 ヨーロッパ史の時間と空間 図解戦略経営に活かす兵法入門 勝利を導く普遍の法則 ゼミナール景気循環.

12 近代文学研究叢刊 48. 12 形態: ii, 260p ; 22cm 著者名: 梅本, 宣之(1955-) シリーズ名: 近代文学研究叢刊 ; 48 書誌ID: BBISBN:. 高見順の「青春」 坂本 満津夫/著 文士・高見順 : 高見文学96の花. 帰国の一方で、1942年(昭和17年)2月号の『文學界』に、「山月記」と「文字禍」が「古譚」と題して掲載されていた。深田久弥は掲載を知らせる手紙を送ったが、同年3月17日にパラオより帰国した敦が『文學界』掲載のことを知ったのは、東京に戻ったあとであった。帰国後は喘息と気管支カタルで、父親と妻子の住む世田谷の家で療養する。当時の世田谷は周囲に田畑が広がり、冷たいおろし風が吹く喘息持ちには良くない土地で、敦は住み慣れた横浜への転居を希望したが実現しなかった。 続けて「ツシタラの死」を編集者の要請で「光と風と夢」と題名変更し『文學界』5月号に発表し、昭和17年度上半期の芥川賞候補となる。しかし、同作品は室生犀星と川端康成の2人の選考委員が高く評価したのみで、他の選考委員からの支持が得られず落選する。とはいえ、「光と風と夢」の掲載後、筑摩書房、中央公論社、今日の問題社の3社から中島の作品集を出版したいという申し出があった。 5月、小康状態になった敦の元へ、筑摩書房の古田晁、中央公論社の杉森久英の訪問があり、作品集の出版が決まった(中央公論社には第三創作集(「弟子」を含む予定で)の約束をする)。7月に第一創作集『光と風と夢』が出版され、その印税で妻子に着物を買った。8月に南洋庁に辞表を提出し(9月に正式辞令が下り)専業作家生活に入った。 11月には第二創作集『南島譚』が出版されるも、同月に持病の気管支喘息悪化と服薬の影響で心臓もかなり衰弱し、世田谷の岡田医院に入院。12月4日の午前6時に同院で死去した。33歳没。涙をためながら「書きたい、書きたい。」「俺の頭の中のものを、みんな吐き出してしまひたい。」と言ったのが最期の言葉だったと伝えられている。 6日の午後2時から神式の葬儀が行われ、多摩墓地に埋葬された。未発表であったいくつかの作品は遺作として没後に発表されており、「李陵」は1943年(昭和18年)7月号の『文學界』に掲載された。全3巻の『中島敦全集』は1948年(昭和23年)から1949年(昭和24年)にかけて筑摩書房から刊行され、毎日出版文化賞を受賞している。. 文学・一九三〇年前後 : 「私」の行方. 書評 小林敦子著『生としての文学 : 高見順論』 梅本. jp2) 共同研究『政基公旅引付』に見る生活と文芸 / 森田恭二 ; 鶴崎裕雄 ; 柴田真一 /. 1926年、通常は5年間通う旧制中学校を4年で修了し、合格した第一高等学校に入学する。第一高等学校入学後は寮に入り、のちにニーチェ研究者となる氷上英廣と知り合うきっかけとなった。敦にカフカを奨めたのも氷上であった。1927年(昭和2年)の春に伊豆下田を旅するが、夏休みの帰省中に大連で肋膜炎に罹ったため1年間休学となり、この時の療養生活中に「病気になった時のこと」という習作断片が書かれた。そして『校友会雑誌』に投稿した「下田の女」が11月に掲載された。これが活字となった初めての作品となった。 1928年4月に寮を出て、伯父・関翊の知り合いの弁護士・岡本邸に寄寓し、そこの息子(一高で高見順の同級生)と親交を結んだ縁で、のちに英米文学の翻訳者となる田中西二郎と知り合う。また、同じく岡本邸に寄寓していた日本女子大学に通う2人の従妹・褧子と美恵子(叔父・比多吉の娘)のうち、敦は2歳年下の褧子(英文科)と特に親しくなり、卒業論文(テーマはユージン・オニール)作成の手伝いをしたりした。この年も『校友会雑誌』に「ある生活」「喧嘩」が掲載された。 1929年4月に文芸部委員となり『校友会雑誌』編集に参加する。この年の夏に岡本邸を出て、芝の同潤会アパートに移った。秋には氷上英廣、吉田精一、釘本久春らと共に季刊同人誌『しむぽしおん』を作り、翌年夏まで4冊を出すが、敦はこの同人誌に一度も執筆しなかった。 第一高等学校を卒業し、1930年4月に東京帝国大学文学部国文学科に入学する。友人らは英語力の高い敦は英文科に進むものだと思っていたため、国文学科を選んだことに驚いたという。大学時代には、文学発表活動への関与はあまりなく、友人・釘本久春の紹介で英国大使館駐在サッチャー海軍主計少佐の日本語教師を10月から約1年間務めながら、ダンスホールや麻雀屋に入り浸る生活を送っていたが、未完の長編草稿「北方行」の執筆準備は大学時代に行われていたのではないとされている。1931年の夏休みには天野宗歩の全棋譜(『将棋精選』)を読み上げ友人を驚かせたり、同年3月に麻雀屋で知り合った同年齢の橋本タカ(故郷は愛知県)と会う旅費稼ぎのため、下宿に友人らを集めレコードの売り立て会を開いたりしたこともあった。 一方で、永井荷風、谷崎潤一郎、正岡子規、上田敏、森鴎外らのほぼ全作品を読むなど読書にも熱中した。そしてポーや.

梅本, 宣之(1955-) Series: 近代文学研究叢刊 ; 48 Catalog.

高見順研究 - 梅本宣之

email: ylowamuf@gmail.com - phone:(574) 553-9027 x 5493

河内今昔事典 - 冨田寅一 - 人口の男女 総務庁統計局

-> ある映画作家 - 野田真吉
-> かんたんイントラネットパックfor UNIX - 建築システム ウェブデザイン部

高見順研究 - 梅本宣之 - 独占禁止法研究 村上政博


Sitemap 1

中国語 中級の一歩手前 - 青野英美 - 試験問題集 英語検定 全商英語検定研究会